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黒木和雄監督逝く…

黒木和雄監督が脳こうそくのため亡くなりました。

かなりのショックです・・・

黒木監督には3年前、第20回の古湯映画祭でお目にかかりました。
第20回の古湯映画祭は区切りということでかなりの監督さんたちがパーティーにいらしていました。
我が篠田監督もそのお一人ですし黒木監督も然りです。
古湯映画祭のパーティーはほんとに身近にゲストの方々と接することが出来、いろいろ意見交換が出来たりするのです。
黒木監督ともお話は出来ませんでしたがサインだけはいただきました。
そしてパーティーのあくる日、会場の近くのうまいと評判の瓦そばのお店でも偶然お会いしました。
監督はいつもトレードマークの黒い帽子をかぶってらっしゃいました。

黒木監督には数多くの代表作がありますが、私が一番印象に残っている作品と言ったら1988年に公開された『TOMORROW/明日』です。
長崎の原爆投下一日前を描いた作品で戦時下の中でも精一杯生きてささやかな喜びに幸せを感じている人々(それは結婚であったり出産であったり・・・)が明日、身に起こる悲劇を知らずに・・・。
観ている私たちはその悲劇を知ってる訳で・・・それゆえにそのささやかな幸せをかみしめている人々を見るだけで胸が締め付けられ、ある意味原爆投下後を見るより静かに重く私の心に圧し掛かってきました。
この作品で監督の穏やかだけど熱い反戦のメッセージがすごく伝わりました。
この『TOMORROW/明日』とキネマ旬報ベスト1はじめ数々の賞を受賞された『美しい夏キリシマ』そして『父と暮らせば』が“戦争レクイエム3部作”と言うそうです。

これだけ黒木監督が反戦映画にこだわられるのは学生時代のご自分の体験がおありにあるからなのです。
そのお辛い経験は『美しい夏キリシマ』で描かれていますし、映画祭のシンポジウムでもお話しされていました。
また昨年には西日本新聞紙上の「シネマ独歩行」のなかでもお話しされていました。
その時のお話しは私のブログでも紹介したのでもしよかったらご覧ください。

また一人、戦争を語れる監督がいなくなってしまいました・・・。
75歳、まだ早すぎますよ!
8月に公開予定の最新作『紙屋悦子の青春』を完成させたばかりだったそうで・・・お疲れだったんでしょう。
ご冥福をお祈り致します。

黒木和雄監督死去…8月公開「紙屋悦子の青春」待たず

 宮沢りえ(33)主演の「父と暮せば」など戦争レクイエム3部作や「祭りの準備」で知られる映画監督の黒木和雄監督が12日、脳こうそくのため、亡くなった。75歳だった。8日に体調を崩し入院。そのときは意識もはっきりしていたが、この日になって急変し、帰らぬ人となった。最新作は太平洋戦争時代を描いた原田知世(38)主演の映画「紙屋悦子の青春」。8月の公開を待つばかりだった。通夜、告別式は未定。
12日朝容体急変 名匠が急死した。8日に体の不調を訴え、軽い脳こうそくで都内の病院に入院。症状は軽かったものの、わずか4日後のこの日、朝に容体が急変し危篤(きとく)状態に。最愛の夫人と娘さんに見守られ、午後3時43分、静かに息を引き取った。75歳だった。

 常に黒の編み上げ帽をかぶり物腰の柔らかなジェントルマンだった。高齢になっても、映画製作の情熱は衰えず、「父と暮せば」(04年)で“戦争レクイエム3部作”を完結させてからも、意欲を燃やし続けた。
次回作を準備中 黒木監督は以前、「15歳のときに空襲を受けて、瀕死(ひんし)の友達をおいて逃げたことがある。その後ろめたさが映画を作ったモチベーションになっている」と語るように、地元・宮崎で幼少期に負った衝撃と悲しい体験を忘れることなく後世に伝えるために、映画づくりに没頭した。最後に取り上げた作品のテーマは再び“戦争”。「紙屋悦子の青春」でメガホンをとった。特攻隊に志願した恋人から親友を結婚相手に推薦される女性の生涯を描いたもの。原田知世、永瀬正敏を起用した。

 昨年10月に鹿児島でクランクイン。順調に撮影を終え、今年初めに完成。8月の公開を待っていた矢先だった。そして、次回作として“股旅(またたび)もの”の準備を進めており、28歳で夭折(ようせつ)した映画監督・山中貞雄氏の生涯についても「描いてみたい」と話すなど、プランは尽きなかった。

 楽しみにしていた「紙屋悦子の―」の公開を見ることもなく“遺作”となってしまったが、戦争と映画に真摯(しんし)に向き合った黒木監督の精神は、日本映画界に大きな形となって残っている。

 ◆黒木 和雄(くろき・かずお)1930年11月10日、宮崎・えびの市生まれ。幼少期を満州(現中国東北地方)で暮らす。54年、同志社大法学部卒業、岩波映画制作所演出部に入社。ドキュメンタリー映画の演出を務めた。62年にフリーに。64年、「あるマラソンランナーの記録」で高い評価を受ける。近年は「TOMORROW/明日」(88年)、「美しい夏キリシマ」(02年)、「父と暮せば」(04年)と戦争レクイエム3部作を作り評価を得た。

(2006年04月13日06時00分  スポーツ報知)

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コメント

非常にショックです。
おっしゃる通り「戦争を語ることのできる監督」が、また1人いなくなりました。

トラックバックをありがとうございます。
こちらからもさせていただきます。

投稿: | 2006年4月13日 (木) 00時56分

★哲さん こんにちは。

TBありがとうございました。
もっともっと黒木監督には戦争についての映画を撮っていただきたかったし語って欲しかったですね。

今朝の西日本新聞を見て監督の記事が大きく取り扱われていて嬉しかったです。
日本映画のスタッフの評価は一部を除いて低いですからね。

投稿: 栃麺坊 | 2006年4月13日 (木) 16時41分

★のろもショックです
朝刊で知りました。のろ母に「この人知ってる??」
と言われ、新聞を覗くと黒木監督の訃報。驚きました。
昨夏、広島を訪れた時、文学資料展関係者の方とお食事をしたのですが、
その際に黒木監督の話題になったんです。
イタリア人の留学生もご一緒だったので、原爆に関する作品ということで、
「父と暮らせば」を紹介しました。
栃麺坊さんとも黒木監督のお話をしたことがありましたよね。
ほんとに残念です。ご冥福をお祈りいたします。

投稿: のろ | 2006年4月14日 (金) 20時01分

★のろさん こんばんは。

私はネットのニュースで知りました。
一瞬目を疑いました。
大病をなさっていたようですがまさかこんなに早く亡くなられるとは…。
本当に残念です。。。そして寂しいです。
黒木監督のご冥福をお祈りします。

投稿: 栃麺坊 | 2006年4月17日 (月) 00時00分

TBありがとう。
古湯映画祭、参加したことはありませんが、一度、行って見たいですね。山中貞夫さんの、伝記映画、ほんとうに、観てみたかったですね。

投稿: kimion20002000 | 2006年8月18日 (金) 19時09分

★kimion20002000さま

ようこそお越しくださいました。
こちらこそTBありがとうございました。
20回までの古湯映画祭は日本映画ファンにはたまらない大御所がいっぱいいらしてましたよ。

>山中貞夫さんの、伝記映画、ほんとうに、観てみたかったですね。

また違ったタッチの黒木作品を拝見してみたかったですね。

投稿: 栃麺坊 | 2006年8月18日 (金) 22時50分

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